私は、いろんなまちづくりをそれぞれの組織のメンバーの立場で、地域おこし事業に関わってきました。
まちづくりの基本は将来にわたってのビジョン策定が重要です。この構想は20年先を見据え町域、郡域、広域にわたって甲賀の将来像(夢)を示し甲賀はひとつの合い言葉のもと輝く明日の鹿深(甲賀)を目指すことでした。
・歴史・文化・産業軸と位置づけられる東西交流軸
・学術・研究・文化の南北交流軸
さらにそれらに沿った交流拠点を包括的に捉え、一体的な整備に向けて、研究考察を進めて行くことが必要であるとの考えでスタートしました。
地方分権や道州制も踏まえたビジョン作成で現在も引き継がれています。
ヤマツツジは旧信楽町の町花です。信楽に訪れる来訪者の皆様をたくさんのヤマツツジで出迎えること、高原鉄道事故で暗いイメージを一日でも早く払拭したい!町を明るくしたい!一心で開催しました。多くの町民からひと株主として参加を募り、環境問題も含め将来の観光資源としてヤマツツジを植栽しました。信楽高原鐵道は25年度から上下分離で再スタートしますが、高原鐵道には人一倍の愛着を持っています。
阪神淡路大震災において被災者から足りないもの支援してほしいもの
それは『水』と『情報』
全国から支援物資としてたくさん集まりかけます。それを何処に効率よく支援する手だては?インフラがすべてストップしたなか、その時活躍したのは電波すなわちFMラジオでした。
当時、信楽有線放送は老朽化しておりその代替えとして県内初のコミュニティーFM局開設に取り組みをはじめました。以後有線放送改革検討委員会で次世代の情報のあり方を答申(光ケーブル計画)、合併後の甲賀市情報化推進懇話会にもその答申が引継がれ、時間はかかりましたがその取り組みを参考に情報化計画が進んでいます。
信楽のまちなかにはクラフトショップやギャラリーがたくさんあり焼物の街独自の風情があります。毎年桜の咲く頃まちなかを舞台にギャラリー•ショップ、窯元や作家さんたちが企画やイベントを一枚のマップに集約し、食やおみやげも含めスタンプラリーなど、陶器市とはひと味違った信楽を楽しんで頂く企画を2008年より開催しています。
アートの歩き方の反省会で、信楽の景色はたぬき一色!信楽からたぬきがなくなったら??しかし信楽のたぬきは消す事がせきない。このきっかけが「たぬき休むでぇ〜」に繋がりました。
たぬきを一年一度だけ休ませる、この奇抜な逆転発想が信楽の地に魅力をもたらすんではないか?新たな観光資源に期待を込め開催しました。甲賀市内の幼稚園児、県内外の幼稚園にもご協力頂きアイマスクや休ませ方のアイデア募集など、信楽秋の恒例行事になっています。2012年より「信楽たぬきの日」として全国たぬきの腹鼓大会などたぬきを全面的にPRする事業として開催しています。
平成23年、岡本太郎先生の生誕100年が『TAROU100年』として全国各地で開催されました。
1970年大阪万博「太陽の塔」の過去の顔「黒い太陽」が先生の手により信楽で制作されました。他にも「座る事を拒否する椅子」をはじめ多くの陶版やレーリーフの制作を手がけられ、その刺激を受けたアーチストたちも刺激を受け信楽にアートの分野が広まっていく事になります。また、名誉町民第1号で当年は40周年を迎える年でもありました。忘れかけていた過去を後世に伝えるために、信楽との関わりをもう一度振り返りながら、多くの学術的発見もあり未来につながる事業になりました。
<太郎語録>の最後に
平成17年に食育基本法が制定されました。
① 家庭における食育の推進(法第19 条)
② 学校、保育所等における食育の推進(法第20 条)
③ 地域における食生活の改善のための取組の推進(法第21条)
④ 生産者と消費者との交流の促進(法第23 条)
⑤ 食文化の継承のための活動への支援等(法第24条)
⑥ 食品の安全性、栄養その他の食生活に関する調査、研究、情報の提供及び国際交流の推進(法第25条)
甲賀調理師会の一員として食育畑の方たちとともに、地域の子供たちに食べ物を通して地産地消、食事についての躾、健康食等々、ふるさと料理普及活動を平成20年度から行ってます。
また、老人ホームや養護施設へ社会福祉事業として8年間継続で市内各施設を回らせて頂いています。